大きい画面は、こちらからご覧ください。
高校1年3年 兄妹の演奏です。
発表会は、常連。最後の発表会です。
リストの有名な曲です。もっと長く、原曲に近づけたい気持ちはありましたが、
高校生は忙しく手が回らないので、シンプルな連弾の楽譜から、アンサンブルにしてみました。
ミスは多いですが、精いっぱい頑張ったと思います。
ユーゲントアルバムOp.68より「初めてのかなしみ」「勇敢な騎手」シューマン
ハンガリー狂詩曲よりS/G244-2 リスト
アルルの女第二組曲4曲「ファランドール」ビゼー
●ロマン派の音楽について
ソロ曲・プチ解説と作曲家年表
2021年発表会top
ハンガリー狂詩曲 (S/G244, R106)はフランツ・リストが書いたピアノ独奏のために作品集です。
全19曲からなります。特に第2番( S.244/2)は有名です。
ハンガリー狂詩曲、最初の15曲は1853年に出版され、最後の4曲は1882年から1885年までに追加されました。
最初の出版は、42歳の時です。
現在では、リストの全盛期に書かれた第15番までが出版・演奏されることが多く、
晩年に書かれた残りの4曲は書法も簡素となっており、知名度は高くありません。
リストは、1848年(36歳の時)にドイツのヴァイマルから宮廷楽長として招かれています。
そこで、新しい恋人カロリーネの助言もあって、作曲に専念しました。
「ハンガリー狂詩曲」は、その時代に生まれた名作です。
リストは晩年、虚血性心疾患・慢性気管支炎・鬱病・白内障に苦しめられていました。
1882年から追加された作品が、簡素になったのは、
病気による苦悩の表れとみられています。
「ハンガリー狂詩曲」の曲の大きな構造は、
ハンガリー舞曲の形式のひとつヴェルブンコシュ(チャールダーシュの前身)に影響されています。
リストは作曲にあたって、生まれ故郷のハンガリー古来の民謡と思っていたテーマを取り入れました。
しかし、その民謡は実際にはその時代に作曲され、
ロマ(ジプシー)のバンドがよく演奏していた曲だったと考えられています。
発表当時から地元ではすでに「リストは勘違いしている」と言われていたといいます。
4人の祖父母ともドイツ人ながらハンガリー生まれであることに愛着を抱いていたリストの愛国心は、
後年バルトークの批判を受けることになりました。
この曲集の中の6曲が、のちに管弦楽編曲も行われました。
リストおよびフランツ・ドップラーによります。
オーケストラ版は、S.359です。
第1番 ヘ短調 S.359/1 (原曲第14番)
第2番 ニ短調 S.359/2 (原曲第2番嬰ハ短調)
第3番 ニ長調 S.359/3 (原曲第6番変ニ長調)
第4番 ニ短調 S.359/4 (原曲第12番嬰ハ短調)
第5番 ホ短調 S.359/5 (原曲第5番)
第6番 ニ長調 S.359/6 (原曲第9番変ホ長調
☆下の記事と矛盾している点がある。
ハンガリー狂詩曲第2番のオーケストラアレンジは、
リストとフランツ・ドップラーの編曲による嬰ハ短調
フランツ・ドップラーによるニ短調 S.359/4
カール・ミュラー=ベルクハウスによるハ短調の版があります。
これは、編成にハープが加えられています。
現在、楽譜が確認できるのは、フランツ・ドップラーによニ短調版と、
カール・ミュラー=ベルクハウスによるハ短調の版の二つです。
「ハンガリー狂詩曲第2番」(管弦楽用の第4番?)は卓越した知名度があります。
『トムとジェリー』の「ピアノ・コンサート」が有名ですね。
ジェリーが、ピアノの中に入り、ハンマーをたたきます。
形だけのピアニストトムが、終わろうとすると、またジェリーが演奏をはじめ、
何度も何度も繰り返して、トムがへとへとになって終わります。
何度見ても、楽しい作品です。
このアニメで、「ハンガリー協奏曲第2番」を知った人も、多いのではないでしょうか。
この曲は、曲の終わり近くにカデンツァが指定されており、セルゲイ・ラフマニノフ、マルカンドレ・アムランなどが
自作のカデンツァを演奏しています。
フランツ・リストの作品は、「S.1 - S.350」で表示されます。
これは、、イギリスの作曲家、音楽学者のハンフリー・サールが作成した作品番号です。
サール番号と呼ばれます。
「サール番号(S.)」は、番号は1番から999番までが付けられています。
リストの作品番号には、ペーター・ラーベが作成した「ラーベ番号(R.)」もあります。
が、現在はサール番号のほうが多く使われています。
両方、書かれることもあります。
フランツ・リスト(ハンガリー・ドイツ)
1811年10月22日 - 1886年7月31日
ピアノの魔術師と呼ばれる