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この曲を演奏しているのは、小学4年と5年の女子と男子です。
この日、初めて一緒に合わせました。
この曲は、メロディーはとても有名で、簡単そうなのですが、
演奏は難しいです。
二人ともよく練習しました。
頑張る生徒さんにしか、任せられない曲です。
しかし、なかなか、バランスをとるのが難しく、
ベースの低音がなくなり、ピアノばかりうるさくなってしまいました。
これは、ある程度仕方がない部分もあります。
なぜなら大人なら加減が出来るのですが、
子供は和音を抑えるのだけでも必死で、速いので、
まだどうしても軽く弾くことが出来ないのです。
本人が悪いわけではありません。
もっと、対策を練るべきでした。
解説のところでも書きましたが、楽譜が色々あり、
打楽器もまちまちでしたが、メロディーの装飾音が違っていたり、
繰り返しの部分が違っていたり、
苦労が絶えない曲でした。
昭和世代にとって、「天国と地獄」=『文明堂』。
「カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは文明堂」。
しかし、私たちが認識している「天国と地獄」は、
実は、長いオペレッタ『地獄のオルフェ』の序曲の第3部の部分にしかすぎません。
オペレッタ『地獄のオルフェ』(Orphee aux Enfers)は、
1858年10月21日にブフ・パリジャン座で初演されました。
作曲したのは、ジャック・オッフェンバック(1819年6月20日 - 1880年10月5日)です。
彼はドイツで生まれですが、フランスに帰化。
作曲家、チェリストとして活躍しました。
オペレッタの原型を作り、オペレッタの父と言われ、音楽と喜劇との融合を果たした作曲家です。
美しいメロディーを次々と生み出すことから、ロッシーニは“シャンゼリゼのモーツァルト”と評しています。
ジャック・オッフェンバックは父親の出身地(ドイツのオッフェンバッハ・アム・マイン)からとったペンネームで
、
本名はヤーコプ・レヴィ・エーベルストといいます。
幼少時は父から音楽の手ほどきを受けました。
1855年7月5日、オッフェンバックは当時パリのシャンゼリゼ通りのマリニー地区にあった見世物小屋ラカーズを買い取り
劇場経営をスタートさせました。
自分のやりたいことを自由にやるためです。
ところが、劇場経営は、お金がかかります。
彼は、目立ちたがり屋で派手好きな性格がで、金に糸目をつけずに舞台を作っていました。
しかし、そのやり方で経営は、慢性的な赤字を呼ぶこととなり、ヒット作が必要でした。
そこで生まれたのが、『地獄のオルフェ』です。
全2幕4場のオペレッタは、彼により、作られた形です。
『地獄のオルフェ』は、「ギリシア神話オルペウスの悲劇のパロディ」です。
愛する妻を失ったオルペウスが、神様にお願いして、
道中振り向かずに帰れたら、生き返らせてあげよう。というあの有名な話です。
ですが、パロディーですから、夫は、妻の事を愛していません。
妻がなくなって、喜びます。
しかし、周りがうるさく、迎えに行けというので、仕方なく連れ戻しに出かけます。
そんな、喜劇ですから、「天国と地獄」には、
品のかけらもなく、ただひたすらどんちゃん騒ぎをしているような、
ノー天気な明るさが漂う曲となっています。
「天国と地獄」をアンサンブルにするために、色んな楽譜を集めました。
手に入ったのは、上級者向けの連弾と、初心者向けの連弾の楽譜。
そして、二種類のオーケストラのスコアです。
この曲の音源をいくつか聞きましたが、なぜかパーカッションに統一性がありません。
私が手に入れたオーケストラの楽譜も、違っていました。
さて、どれが正しいのでしょう?
というより、なんでこんなことになっているんでしょうね。
仕方がないので、二つのスコアと、耳コピとで、
それなりに聞こえるように、打ち込んでみました。
うるさいぐらい、派手になりました。
楽譜は、エレクトーンパートの生徒に上級用の連弾譜を
ピアノの生徒さんに簡単な方を渡し、何とかなるようにしました。
★アンサンブル曲の解説はこちらからご覧になれます
1.プレリュード7番 Op.28-7 ショパン
2.「8つのユーモレスク」より第7曲 Op.101-7 ドヴォルザーク
3.「グノシエンヌ」第3番 サティ
4.おもちゃの兵隊の行進曲 Op.123 イエッセル
5.故郷(ふるさと)文部省唱歌 岡野貞一
6.「くるみ割り人形」op.71より「あし笛の踊り」チャイコフスキー
7.「天国と地獄」序曲 オッフェンバック
8.「6つのウィーンソナチネ」K.439b より第1番(Ⅳ)モーツァルト
9.交響曲第5番Op.67「運命」(Ⅰ) ベートーベン
10.「威風堂々」Op.39-1 エルガー
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